2010年8月15日 (日)

会えたらいいね・・(425)  整理③ 父の遺品

この時期なると 決まって開けるものがある。   父の遺品。

3個の茶箱に入った 戦前の父のメモリーだ。
少しずつ処分しては 二箱までにしたが どうしてもこれ以上は悲しくて捨てられない。
P1000172

風子はその当時を知る由もないが 残されたものから 如何に長男としての責任を全うしてきたか 眺めているだけで父の胸のうちを思い 涙がこぼれて来る。

戦争の話を全くしない人だった。
叔母たちは 「長(長吉という)ちゃんは 寸足らずで徴兵検査に落ちた」 と笑い話にしていたが 父は肯定も否定もせず 一緒に笑っていた。

今思うと 決して背が高いとは言えないが それで落ちるほど低くは無かったので 多分 精密機械に従事していたので 軍需産業の一部を担っていたのでは?と思っている。

昭和初期からの地図に 山登りや渓流歩きを趣味とした父は 几帳面に赤鉛筆でルートを辿り 細かく日記をつけている。
祖母は後妻で 祖父は20歳ほど年上だったが生計も苦しく 長男として4人の姉妹の生計を担いながら その合間を縫っての 父の青春の記録なのだ。
P10001802
祖父は 今で言えば 「小使い」 という契約署員だったのだろうか? 毎年更新 任命されている。 

戦時中は 祖母を疎開させていたので 自分の危機を感じていたのか 終戦の年の3月には 万が一に備えて 祖母が途方に暮れないよう 頼る先まで細々と書き綴っているが
祖母が読めるように ひらがなで書かれていることに 父のやさしさを思う。
これは 16ページに渡って記されていて 書きながらどんな思いだったのだろうと・・・。
P1000174

家財道具の隠し場所まで 事細かに書いてあって 今になれば可笑しいが・・・。
P1000175_2

戦前は お茶の行商をしていたらしく お茶の瓶(かめ)や秤など 戦火の中どうやって保管していたのか 愛おしそうに 時々瓶を磨いていた父の姿を今でもはっきり思い出す。 
P1000181
新築した床の間に 風子が 「この瓶が欲しい」 と言った時 父は首を振ったが 結局は床の間に 今 二つ納まっている。

茶箱の中には セピア色になった終戦の新聞もしまわれていて 玉音放送に 父母もこんな風にして耳を傾けていたのだろうか?
P1000178
P1000176
「当時の新聞は今でも手に入るから・・・」 と保存する意味が無いように言われるが 65年の間保存されたこの新聞には様々な思いが込められていて 今 再刷されたものとは違う意味があると思っている。

父が戦争の話を口にしなかったのは 風子のルーツを追求されることが 恐かったのかもしれない。
(後日分かったことだけれど 風子の出生には事情があって両親とは血縁は無く ひたすら隠し続けてきた父の苦心の様子が偲ばれる)

寡黙の人だったので想像するしかないが 残されたものを見ていると どのくらい風子が父母に愛されていたか 今となっては 仏壇に手を合わせ 感謝するのみだ。

やはり 風子が生きている間は これ以上整理することは出来ないなぁ・・・・、と 二つの茶箱を 再び 収めた。

 

| | コメント (12) | トラックバック (0)

2008年11月 2日 (日)

会えたらいいね・・(280) お墓参り

11月4日は 母の命日、早いもので もう15年目になる。

松戸の八柱霊園まで 車で2時間ほどかかるので 両親の命日と 春秋のお彼岸、元旦にお参りするだけになってしまう。Dscn1075

墓石は 静岡のお寺からこちらに移したものだが 昭和13年○○長吉建立 と刻まれている。
祖父とは複雑な関係にあったようだが 貧乏な最中 跡取りとして責任を果たしたのだろう。
この霊園の中で 「一番小さな墓石」を探したら 直ぐに分かるほどの小ぶりだけれど 風子は とても気に入っている。}

子供達には 「絶対に 大きなお墓には変えないように」 と伝えてある。
父が建てたものだから たとえ 大金持ちになったとしても(心配に及ばないが) このままで良い。Dscn1079  

草を毟り 木を整えて 花を供えると 「良かった!」 といつも思う。
「千の風・・・・」 でいうように ”ここにはいません” とは思えないのだ。
風子にとっては ここにも居るし 家にもいる。空にも・・・。

何処にでも 追いてまわっている。 しつこいくらいに・・・。

南天が真っ赤に実をつけ 満点星が色を染め始めている。

お正月にね・・・、と 母に伝えて帰ってきた。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月28日 (日)

会えたらいいね・・(268) 母への手紙最終便 

S33

くりかえしくりかえし 子供と喧嘩している。
自分が 居なくなってもいいようにと あれこれ言うと気まずくなる。
友人には 「死んだ後まで考えることないわ」 といつもいわれる。

さすがの風子も 近頃  すべてのことに 言い争う元気がなくなっている。

人との関係 いろいろなこと わかってほしいこと 解決しなくてはならないこと。

自分から 言い出すのを 躊躇してしまう。
言ってしまうと 相手を傷つけ 話した自分に残る重たいかたまり。

     そっと そのままにしておこう。
     そっと はなれていこう。

    
.:    *・゜・*:.。.:*・゜・*:.。.:*・゜・*:.。.:*・゜・*:.。.:*・゜・*:.。

ブログをはじめたのも 13年前描いた母への日記がはじまり

9月26日は 母が倒れた日
お蔵入りになっていた手紙だけれど・・・。

あれから 15回目のあの日あの時
今でも 目からはなれない。    

秋だから・・・・・、ちょっとオセンチに 風子さんだって なるのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月31日 (月)

会えたらいいね・・(173) 一年の終わりに

Img_2205 紅白歌合戦を後の目で見ながら まだ煮物が終えないで まごまごしている。

28日には 紀伊国屋まで「 六輔年忘れ」 に馳せ参じ スセリさんの唄や 松元ヒロさんのコントに大口開いて大笑いし パギヤンこと趙博さん歌う「一本のえんぴつ」 に「ひばり」より好い!なんて感激して・・・・。

いざ 「オークション」 となったら欲しいのに 声のひとつもかけられなくて 競り落とした人が羨ましく 度胸のなさに 気落ちして帰ってきた。

今年の夏は あんなに手が疼いて痛くて不安でいっぱいだったのに 涼風か吹く頃から 楽になって お陰さまで 「奥様」ではなく いつもの「お外様」 に戻りつつある。
 
暮から お外さまをしすぎたので 年賀状もまだ手つかずだけれど 永六輔さんが 「年賀状は旧暦で出すべき」 というので 都合の好いところだけ真似して 年が明けてからにしようと思っている。 

それにしても 「お外様」には 足が肝心で 今のところ歩けるようになった事は有り難い。
来年は 何処へ・・と、 考えているけれど 最近は「 一人旅」 が心細くなって来ている。
けれど こんな気儘なおばさんに付き合ってくれる健気な御仁は 居る分けない。

ブログも 何人かのご贔屓さんに支えられて 細々と続ける事が出来ました。
自分の 頭の体操と思って始めたのですが アクセス数のあまりに少ない日が続くと もう止めようかと思ったりしますが 「コメント」 を頂くと また元気が湧いてきます。

有難うございました。 来年も 覗いてくださるよう よろしくお願いいたします。

| | コメント (2)

2007年12月26日 (水)

会えたらいいね・・(171)  忘年会

Img_2202男って こんなでいいの・・・・?

今日は 「着物で忘年会をしましょう」 ということで うら若き女性7人が集まった。
風子は 一番の年長者。
殆どが40代。

アクシデントがあって 一人遅れて参加。
所沢にある 居酒屋さん。 お隣さんとは衝立があって 自分達だけの世界になれる。
席に着こうとした瞬間 お隣との境に置いてあった 4合瓶に裾が触れて瓶が倒れ 残っていたお酒が こぼれてしまった。 
内心 「大事なお酒なら 足元に置くな!」と思ったけれど 悪いのは風子。 
床にこぼれて 風子の着物にちょっと跳ねただけで 男性達に何の被害もなかったけれど 同じお酒を一本 お詫びに差し上げた。

こぼれた量からして 残っていたのは僅かだった。 ご迷惑をおかけしたので仕方がないけれど その時の男たちの態度が気に入らない。
風子は何度も謝ったのに 一言もないのだ。

風子の呑み仲間だったら もっと粋に返事が返って来るだろうに 無粋な遊び心のない淋しい男達だ。

少なくても 風子を除くと 男達よりみんな若いし美人が揃っている。
そんな女性のまえで もっと格好よい台詞ひとつも出ないなんて 今時のサラリーマンは・・・と情けなくなってしまった。

昔の 呑み助は 遊び方を知っていた。

若い頃から 女だからといって男に甘えられる可愛い女ではではなかったし なおさら今は年だから 笑って許して頂こうなんて さらさら思わないけれど 少なくても 昔の男性なら 女に4合瓶返させておいて 「姉さんすまないねー」 くらいあっただろうに・・・と 隣の定年近いグループに 「あなたの先が見えてます!」 と言いたかった。

ちょっと 言い過ぎ・・・?  

| | コメント (0)

2007年12月12日 (水)

会えたらいいね・・(168) 落ち葉

Img_2197 何日か前には 二階の窓から見下ろすと 山桜が紅葉して 初冬の陽射しにきらきら輝いていたのに 木枯らしが吹いて 一気に葉が落ちてしまった。

今年の春は 山桜が初めて花をつけ 感激したのに ほんとうに季節の移り変わりは速く 今は 裸になった枝の先に 紅い葉を2枚だけ残して 冬空に 光っている。

Img_2245

Img_2243ハナミズキも 20年ちかく経っているので かなり大きくなっていて このあいだまでは 葉が散って 毎朝落ち葉掃きが大変で 揺すって全部落としてしまいたいくらいだったのに いざ散ってしまったら 何枚か残った葉が愛おしくなったりするから 可笑しい。
葉がなくなった枝の先には 蕾を沢山つけていて 来年は きっと 樹全体が ピンクになってしまうことだろうと 楽しみだ。

辛夷と桜とハナミズキの葉で 狭い庭だけれど かさかさとする足音を楽しんでいる。
葉の下では 水仙やチューリップ すみれ イカリソウ が 始まったばかりの冬だけれど  じーっと春が来るのを待っていることだろう。          

| | コメント (0)

2007年11月 8日 (木)

会えたらいいね・・(159) 命日

11月4日は母の命日だった。
Img_1901_2
このところ いろいろ立て込んでいて行けなかったので 一日遅れて 5日に「一人でお参りした。
庭の菊や母の言う黒百合(ホトトギスのこと)を手折って デイバッグには一式入れて 電車で行く。
母は 京樽の茶巾寿司が好きなのだが 倒産したとかしないとかで 見かけない。
似たようなものをと 途中さがしたが見当たらず 霊園の近くになって 仕方がないので 「おだんご3本入り」とお茶で 我慢してもらい お寿司は家に帰ってからにした。

その日は 青い空にゆうゆうとくもが流れ風もなく 足取りも軽く 汗ばんでくる暖かさ。
けれど平日の霊園は 太陽が真上ある時間だというのに 閑散としていて ついてくるのは猫ばかりで 淋しい。

200711051309001軽くお掃除して 座っておだんごとお茶で 母に愚痴を聞いてもらう。
幾つになっても 母は母で 懐かしい。 14年過ぎた今でも 母の背中の温もりと 髪油と埃の混じったような着物の匂いが思い出される。
割烹着の上に 汚れるからと またサロンエプロンをいつもしていた。風子も 最近 気が付くと母と同じようなことをしているので 一人苦笑している。
200711051309000
時間があるので 上野にまわり 絵を見ることにした。
自分が描いたのだから わざわざ見に行く事もないけれど どんな様子か見ておこうと思って いざ上野についたら妙に人気が無い.。フィラデルヒア美術展や ムンクもやっているのに・・・、どうしたことか?と。

月曜日だったのだ。200711051308000
サンデー毎日の風子は 曜日の感覚がないので いつも失敗する。
都美術館の手前の交番で 一応聞いて見たら 「民間の方はやってます」 というのでほっとした。
お陰で 受付係の方は大勢いたが 会場は貸切状態で ゆっくり見学できた。
審査員らしき方が 寄ってきて 「絵は見つかりましたか?」 と暇そうだったので 有り難く講評をしていただいた。
見る方が違うと評もさすが。 気が付かなかった事を指摘され 「なるほど!!」 と納得して 帰ってきた。
 
展に入ったというと 「コネがあったのか」とか 「関係者に見てもらって出したの?」 とか言われるけれど 勝手に運送やさんを頼んで出しているだけで そんな偉い方とは 幸か不幸か縁がない。
今の 何とか展は 大方がそういう出し方なのだろう。 

風子は そんな腕もコネもキャリアもないので 運よく講評して頂ければ ラッキーと思っている。

ひとつ 勉強させていただいて 帰りの電車は疲れと多少の緊張がとけて 心地よく眠ってしまい 一駅乗り越してしまった。
 
歩き過ぎて 脚が棒どころか 着地も辛くなってしまい 暫くじーっと我慢の子でいなくてはならない・・・・・。



 

| | コメント (0)

2007年10月22日 (月)

会えたらいいね・・(152) 誕生日

S40_5     10月20日は 亡き母の96回目の誕生日。
そして 美智子妃殿下の73歳のお誕生日でもある。
生前 母は 妃殿下と同じであると言う事が 自慢でもあった。
その上 初孫が 10月20日に生まれ 母にとってはこの上ない喜びであったと思う。
41年前のこと。

それが 翌21日 生後25時間で帰らぬ命となってしまった。
医者は死産とした。

その日は秋晴れで 元気な産声で生を受けた児が そんなことになるなんて誰もが思っていなかった。
今思えば 医療ミスであり 詳しくいうなら 出生届けと死亡届けを出さなければならなかったのに 若かったし 医者の手続きに対して 今のように問題には出来なかった。

風子の心の中には いつも何か重いものがあって それをどうしたらいいのか判らなかった。
その後生まれた子供が成長し 問題が起きるたび その児のことが浮かんできた。
ある新興宗教の方に 「生きるために生まれてきたのに 殺されてしまって 迷っているのだから 教祖さまにお払いしてもらいなさい」 と言われたが どうしても門をくぐることが出来なかった。 
Img064
そんな時 懇意にしていたご住職が 「お釈迦様の足跡を辿る」 という旅を企画して その児に 戒名を頂き 母と児の位牌を胸に 印度へ同行した。
霊鷲山へ上る山道は月が照らし そのころ持病が始まっていたけれど まだ歩けたので 辿り付く事ができ 導師のもと お経を唱えた。
溢れ出る涙を 堪えることもなく 思い切り泣いた。
 
「童子もお釈迦様の胸に抱かれているでしょう」 という導師の言葉に 素直にうなづけた。

あれから41年 美智子妃のお祝いが報道されるたび あの日の抜けるような青空と 産声が 思いだされる。 

10月20日 風子は青空の下 彩の森公園を歩いていた。
母と 生きたかった児に こうして歩けるようになった事を感謝しながら・・・・。

 (母への手紙は S8年に描いたもの)


  

| | コメント (0)

2007年10月 5日 (金)

会えたらいいね・・(147) 秋

Img_1871_4 久しぶりの秋日和。

夏の間 ほったらかしになっていた庭を眺めていると 確実に秋の気配を感じる。
桃や黄の菊が咲いて 繁ったチェリーセージやアメジストセージは 勝手な方を向いて狭い庭いっぱいに広がっている。
春先に咲く花は やさしい色が多く それはそれで可愛らしいけれど 秋の花は同じ紅や紫でも 強い色合いが多い。

若い頃は 紅く燃える紅葉の中に身を置いて楽しんだこともあったけれど この年になってくると それも息苦しくて 遠くからの黄葉を眺めているのが好い。

色も人も穏やかでいることが心地よく 春先の萌ぎ色や 黄葉が終わりに近づいて 黄はだ色や 刈安色になった頃が一番好い。Img048_sh02

近くの雑木林は ありふれた低木が多く 見栄えのない黄葉だけれど それでも ガマズミやゴンズイ カラスウリの実が赤くなって 可愛い実を揺るがせていると この地域に暮らしている事の幸せを感じてくる。

今日もまだ早いかと思ったけれど 様子を見に歩いてみたら ガマズミもカラスウリも赤くなって 秋が来ていた。
マユミは まだ緑い苞に包まれていて これから薄いピンクになって弾けて 黒い実がぶら下がるまでには 間がありそうだったけれど その頃はみんな採られてしまうので 早めに採って来た。

差しておけば 自然と弾けてきて その方が持ちが良い。
Img048_sh01
思いがけない収穫に 早い秋を楽しむことが出来たが 相変わらず 少し雑木林から遠ざかっていると 伐採され虫食い状態になって そこだけ青空が広がっていて悲しくなる。

| | コメント (0)

2007年9月19日 (水)

会えたらいいね・・(141) お墓参り

                                                      9月12日は父の命日。

お彼岸に近いと言うこともあって お墓参りは どちらか一回になってしまう。
松戸に近い八柱霊園まで 彼岸の入りを待たず 今日行くことになった。

合わせたかのように 庭の菊が満開になり 紅・桃・白の千日紅や セージ類も色とりどりに咲いて 供える花も用意万端 切り揃えてある。
わが家の狭い庭の花は ほとけさま用に植えてあるようなもので 薔薇を除いては すべて間に合う。

この時期は 夏の間に伸び放題の草と 木の枝を払うのに苦労する。いつもは 息子が背が高いので 重宝するのに 今日は都合で不参加なので 大変だった。

行ってみて びっくりした。 植えた覚えのない「百合」が 大きな白い蕾を2つもつけている。今まで供えたこともないし どういうことなのだろうか? 種を鳥が運んできたのだろうか? 
不思議なことがあるものだ。

父が亡くなって22年 母は13年。 二人とも風子が見送ったが 幸か不幸か 介護で苦労はしていない。
いろいろあったけれど 結果としては 父は6ヶ月 母は40日病院のお世話になって 私は毎日通うだけで済んだ。
子孝行の両親だった。
Img_1899_2
                 手を合わせていると そんな年月が過ぎているのに 悲しい思いをさせたり 心配させたりで 優しい言葉のひとつもかけられなかった申し訳なさで胸がいっぱいになってくる。
今 自分が母の年に少しづつ近づいて 子供達から冷たい言葉が帰ってきたりすると 「きっと 母もこんな思いを胸にしまって 眠れない日々を過ごしていたのだろう」 と 思いを馳せる。

お墓に父や母が居ても居なくても 風子にとっては 有り難い場所で 愚痴を聞いてもらったり 一人でぶつぶつと 話しをしてくる。 

この次ここに来るのは 母の命日で その頃は そろそろ紅葉の便りが届きはじめて 秋も終わりに近づいている。 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧