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2010年2月27日 (土)

会えたらいいね・・(380)  小指は風子

小指は風子・・・、なんていうと 風子が可愛い? えェー? と早合点してはいけない。

先日 東京へ出てきた知人に 久しぶりに会った。

手術して一年になる手の状態を話したら こんなことを言われてしまった。
「小指は 風子だね」 と。
「えっ? それはないでしょ、そんなに可愛くないわ・・・」 と言う前に 次の言葉が追いかけてきた。
「そっくりだよ、群れにならないところがね。いつだって どこの集まりだって 群れから外れてるよ。」 

というのは 術後8ヶ月もリハビリしたというのに 
お隣の薬指から45度離れたままの小指は とうとう所定の位置に戻らず 飛び出したままになってしまって いつも何かにひっかかるだけで 役に立たない存在になってしまっているからなのだ。

先日も デパートでグラスに触れて木っ端微塵になり 飛び散ったガラスを(いやな顔して)かき集める店員さんに平身低頭で誤ったけれど お客さんの目が集中して 居た堪れなかった。
珈琲ショップでも何回も失敗し 珈琲浸しになることは度々で 注意しているつもりでも 意思とは関係なく他所を向いている指には 閉口している。
Img_1457 

知人とは 付かず離れず (風子が勝手に付いて回ってるだけ) の付き合いの中で

知人が主催の旅でも 集会の時も 群れに入っているようでも どこか外れている風子をお見通しなのだ。

Img_1457_kiritori この小指は 力を抜くとやや薬指に近づくのだけれど 決して他の4本の指とは寄り添わないのだ。

「小指は風子」 
可愛いから・・・、と言われたら ぞーっとしたけれど・・・・。
 
そう、確かに「言い得て妙」 とは このことだと 感心してしまった。
☆3つ 座布団3枚 進呈しよう。

飛び出して役に立たない小指が 妙に愛おしくなった。

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2010年2月24日 (水)

会えたらいいね・・(379) 春風に吹かれて

窓越しの陽を背に浴びて本を眺めていたら汗ばんで来て ヒートテックの肌着を脱ぎ捨ててTシャツになる。
体が軽くなって じっとしていられなくなってきた。

ちょっと前までは 雑木林も霜解けで 靴の底が泥と落ち葉に塗れて身動き取れなくなって閉口したので暫くご無沙汰だったけれど 今日は久々に歩いてみることに。

落ち葉は乾いて 道から外れて林に入ると かさかさ軽い音がする。
びっくりした雉が そそくさと茂みに駆け込んで行く姿を追って カメラを構えたが見えなくなってしまった。Dscn4306_2 
変わりに 雑木の間から陶芸工房のおじさんがこちらを見ている。
ここで立ち止まったら せっかくの日差しに背を向けることになってしまうので 帽子のつばをうつむき加減に 急ぎ足で通り過ぎることにした。

Dscn4296 野原に出ると 枯れ草の間からホトケノザやオオイヌノフグリがあちこちに顔を見せて 春は確実に始まっている。
草にしゃがみこんで写真を撮っていたら 畑の叔父さんが「何をしてるの?」 と話しかけてきた。
花の名前はもちろん 花も初めて見たのだという。
畑ばかり見てきて そんな小さな花には気がつかなかったのだそうだ。Dscn4295
木から落ちて体を壊して畑はもう出来ないし 息子は継ぎたくないからとサラリーマンになったので この畑をどうしようかと思案中だという。売りたくても どこの農家も高齢化して手放す家ばかりで 買い手がないのだそうだ。
「菜園にして貸したら?」 と言うと 「貸しても 要る時に退去してもらうのに高額を要求されるから損ばかりする」 という。
いつまでも話が続くので 「じゃぁ・・・」 と逃げ腰になると 一緒に歩き始めて延々と話しかけてくる。
農業で生きて来て この広い畑に 作物を作ることも売ることも儘ならず 小さくなったおじさんの顔に刻まれた深い皺に 淋しさが溢れていた。Dscn4305

途中でリヤカーの野菜を買いに寄ったら 主が居たので 「この間の大根 スが入って 茶色くなって全部だめだったわー」 と言うと 「やっぱりねー、この冬はみんな凍っちゃったんだよ。変わりに蕪もってってー」 と言ってくれたので 「じゃあ、お礼に切干頂いてくわー」 と 二袋も買ってしまった。

ここの切り干し大根は美味しい。今夜は早速煮て見よう。

帰り道は とうとう陶芸のおじさんに捉ってしまった。
また 愚痴の聞き役。
独身でお母さんの世話をしていて 生徒さんには愚痴れないので 風子にあれこれ言って来る。
いつか干支を聞かれて 「パンダ」 といったが 面倒くさいのではっきり伝えたら 約ひと回り風子が年上なので 安心しているらしい。
あっちもこっちも愚痴だらけで 風子の愚痴は誰が引き受けてくれるのだろう。

せっかくの散歩も 蕪と人参、大根切干をぶらさげて帰ってきたが 疲れてしまった。

後戻りしない春 完璧な春が続きますように・・・・と。 
  

 

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2010年2月22日 (月)

会えたらいいね・・(378)  歩く

周期的に訪れる「うつ」 がまた始まってしまった。
原因が無いわけではないが 結局は自分に返ってくることなので時が過ぎて行くのを待つ以外ない。

そんな時に 九州に居る友人から電話があった。
「ブログが二週間も更新がないので どこか悪いのかと思って・・・」 と 風子の体調を気遣ってのことだったが 彼女だって薬のお世話になりながらの生活なのに 有り難かった。
毎日更新しているならいざ知らず 気まぐれブログなので 誰も気にはしていないと思っていたから・・・。
自分では ただ書く気が起こらないだけのことなのに 心配かけてしまった。

確かにこの寒さは持病に響き 何もする気が起きず 散歩もさぼりがちになっていたが 久しぶりに腰を上げた。
歩数計も新しくしたし 試し歩きをしてみよう。Dscn4240

天気予報では陽が出ると言ってたけれど 花曇りというにはまだ遠い単なる曇り空に 
紅梅が所々で満開になり 観梅しながらの散歩は心が和む。
Dscn4244_2 紅い椿が 道端に・・・、「そうか、また猫が・・・」 
隣接の入間基地の雑木林に何匹も捨てられ 猫の会の方が餌や水を内緒であげているが この寒さに絶えられなかったのだろう。

Dscn4248_2 お人形を抱いた男性が うろうろしている。
場所を探しているらしく やがて場所が見つかったら 人形を下ろし木の下に立たせカメラを向けていた。


不思議な光景だ。いつだったかテレビでそんな趣味の方が居ると聞いたような気がするが 目の当たりにすると複雑な気持ちになり カメラを向けたら叱られるのでは・・・?と恐る恐る 他の場所を撮る振りをしてあわててシャッターを切った。


久しぶりに顔を見せるはずの太陽は 帰り際にやっと顔を出した。Dscn4246_3 

逆光なので 暗くなってしまったが・・・。

Dscn4249 新調した歩数計は 正確らしい。
消費カロリーは訳300kcal。 
これで 帰りはファミレスでお茶ができると いつもの通り本を3冊も抱えて行ったまでは良いのだが お茶とお菓子でゆっくりしたら眠くなってしまい 結局2,3ページで引き上げてきた。

今日も ダイエットには程遠い散歩になってしまった。

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2010年2月20日 (土)

会えたらいいね・・(377) 小室等の聞きたい聴かせたい⑭

いつもの通り チューニングから始まった。

ステージに上がり 「ここでチューニングするなんて可笑しいよね・・・、でもお客さんを放っておく訳じゃあ無いんですよ」 と。
それが いつもの 小室さんのパフォーマンスで 始めての方は 「おいおい、ちょっと違うんじゃないの?」 と思っているうちに小室さんの世界に引き込まれてしまう。

今日のゲストは 浦沢直樹さん(漫画家)だ。
かなり有名な方らしいが 残念ながら漫画が苦手の風子は話が通じないのだが そのストーリーの裏にある話になると解らないでもないな~~と 興味が出てきた。
子供の頃の体験の実話と創作がないまぜになった異空間として舞台になっている と話す。
全国的に知られている「ジジババ」 という駄菓子やがあったが 実はジジは居なくてババだけであったとか・・、ジジは紙芝居に出ていたらしい。
路地を曲がると 忽然とグラデーションのように秘密基地が現れたり、しかもそれは資材置き場であったり 風呂屋の裏の山積みになったゴミの隙間だったりなどと・・・・。

それが 突如として20世紀少年の巨大ロボットが現れたりするから 漫画を知らない聞き手にとっては 話を辿って行くのには 一言一言に耳をしっかり傾けていないと こぼれてしまう。

今更驚くことではないらしいが 一人で描いているものと思っていたのに 殆ど助手が描いていてプロデューサー的立場の漫画家が多いというのは アニメの世界だけと思っていたのに これまた初めて知った事だった。

生まれて初めて漫画で感動した作品が、手塚治虫の『鉄腕アトム』だったと言うことから その後巨大ロボットの登場(PLUTO)ということになる。 
鉄腕アトムの作詞者は谷川俊太郎で その後 「103歳になった鉄腕アトム」 という詩を書いているので 小室さんが朗読し歌った。Img218_2

5時で終了のはずが 小室さんと浦沢氏のギター、歌 (CD、半世紀の男) で 1時間も延長になり 話と歌を満喫してちょっと疲れてしまったが 帰りにロビーで小室さんにお会いしたので挨拶したら いつもながらの笑顔が返ってきた。

小室教室に通っていた頃の笑顔と気遣いは少しも変わらず 疲れるだろうなーと 細い体がよけい細く見えた。

次回はどこのライブに行こうかと ライブ予定を見ている 。

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2010年2月 6日 (土)

会えたらいいね・・(376)  懐かしかったけれど・・・

何年か前に 歌声喫茶カチューシャが復活したという話を聞いていたが 懐かしくはあっても足を向ける勇気が無かった。

たまたま 参加できるチャンスがあって 不安と期待を一緒に連れて 行ってみた。
その店は新宿のビルの二階でささやかに月2回開かれていると言う。

ドアを恐る恐る開くと 紹介してくださった女性が直ぐに気がついてくださって お仲間の席へ案内して頂いた。
袋の中に3500、-を入れ 飲み物、のり巻き、柿ピーなどが出された。

ピアノ、アコーディオン、ウクレレ? いかにもカチューシャっぽい格好で お一人は83才だと言うが 音楽家の雰囲気もある大柄な素敵な紳士で 声量は素晴らしいものと 周りの方が説明してくれた。

いよいよ 始まったが 一曲目から期待は消えてしまった。

「違う、これはカチューシャの復活ではない」 と思った。
当時は 学生が多く 珈琲も食事もサンドイッチをどうしようかと迷うような中で みんな肩を寄せて合唱し 男も女も無く ロシア民謡や唱歌を楽しんだ。
そうは言っても 何回か顔を合わせているうちに恋もうまれ 今の若者のような恋ではなかったが 青春の一場面だった。

当時の歌集だというが 風子の知っている豆本ではなく 一冊の厚い歌集になっていた。
引き出しを一杯にしてためこんだ豆歌集の一冊だけが どういうわけか今も残っている。

Dscn4196_2 Dscn4197_2

参加者は男性が多かったが 殆どの方は どこかのコーラスに所属している人らしく それぞれが競って大声で高らかに声を張り上げ テノールだバリトンだのと のど前をご披露したいらしく 人に合わせるでもなく 自己陶酔に陥っている。
我こそは・・、と思う人の集まりでは コーラスをまとめる方も大変なご苦労がお有りなのでは・・・?と余計な推測をしてしまった。  
そういう方はカラオケを馬鹿にするし 逆にカラオケでも嫌われていることが多い。

とんでもない所へ来てしまったと思っていたが 千葉から参加の女性は 遠いから・・・と
一時間で席を立ってしまった。
そのうち今月お誕生日の方へ・・、とワインなど提供され 風子は女性では一人頂いてしまったので 引き上げるわけにも行かず 歪んだ笑顔を作りながら 知っている歌を口ずさんでいた。
近くに居た方が 「声の伸びがいい、それは天性のものだ」 とか 「コーラスに入りませんか」 とか気を遣ってくれたが 「♪も読めませんし 英語すら解らないのに ましてドイツ語など・・・」と丁重にお断りした。
「では・・」 とその気になってしまったら 相手はどう出たのだろうか? と可笑しかった。 

そのうち この歌はW大学だとか W出身は前へ・・・とか この場に及んで まだ出身校や過去の肩書きに拘るのか・・・、と退職後のサラリーマンの悲哀を感じて情けなくなってきた。

確かに 歌はカチューシャ時代の歌で懐かしかったが 時代が変わったのだから仕方が無いのか・・・、と 紹介してくださった方には申し訳なかったけれど 二度と足を向けないであろうカチューシャを後にした。

当時のまま 胸にしまい込んでおけば良かった・・・、と冷たく光る星空を見上げていると 思い出が壊れてしまったようで淋しかった。 

 

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2010年2月 2日 (火)

会えたらいいね・・(375)  不確かな記憶

子供の頃の記憶というものは 確かに自分の目で見たものか または親から話を聞いてあたかも自分の記憶のように思い込んでいるのか わからないことがある。

事件があるたびに 記憶が蘇ってくるのだが それが不確かなものかも知れないと最近思うようになった。

確かに見たと言う記憶はあるのだが 年齢的にこんなにはっきり覚えていられる年齢ではなかったからだ。Photo_2

その日は 社宅中が大騒ぎだった。

いわゆる買出し列車といわれた八高線脱線事故が起きたのだった。
東飯能から高麗川に入るルートで下り坂から左に曲がるところで 満員の乗客で通常以上に加速度がかかり脱線し 180人を越える死者が出たと言う。
近くまで行くことはあっても 寄ることはないのでわからないが 今でも家が建ってはいないそうだ。

この事故で 100世帯を超える社宅の何人もの方が亡くなり 合同葬儀が行われた。
しかも 女性が多かったと聞いている。
それは 買出しは女性の仕事だったそうで 事故に遭遇したのは母親ばかりだったようだ。

「風子ちゃんのお母さん 行かなくて良かったねー」 とお隣のおばさんに頭をなでられたことが記憶に残っている。
白い割烹着姿が右往左往し お線香の煙や読経もあったのだろうが 大広間の祭壇の前に大勢集まって泣いていた姿だけが モノクロ映画の一画面が停止したように 無音の状態で ある日突然脳裏から離れなくなってしまう。

その日 母も買出しのため 社宅の人達とその列車に乗ることになっていたそうで 体の弱かった母は 朝 胃痙攣を起こし集合場所の小宮駅へ行けなかったそうだ。
それが幸いして 命拾いとなった。

後に聞いた話だが 同級生の豊子ちゃんのお母さんがなくなったのも この八高線脱線事故だった。

小学生になった頃は 豊子ちゃんには継母が来て すでに弟が生まれていた。
近所の噂では 「豊子ちゃんは継母に虐められている」と言うことだったが それも定かではないし 継母は辛い思いをして先妻の子を育てていたのかもしれない。

亡くなった母親の弟という方が同居していて 「竹やのおっちゃん」 と呼んでいた。
今思えば少々知的障害があったようだが 売り物の青竹で竹馬を作るのが上手で 競って自分の背丈より高く足場をつけてもらって乗った。
豊子ちゃんにとっては おっちゃんは唯一の拠り所だったのかもしれない。Img141syou

風子は 中学を卒業と同時に社宅を離れたので風の便りに 「豊子ちゃんは 早くお嫁に行ってしまった」 と聞いた。
おとなしくて いつも上目遣いに人を見ておどおどしていた豊子ちゃんは 今どうしているだろうか 幸せなおばあちゃんをしているのだろうか と 遠く思いを馳せる。

最近 あの光景が思い出されるのは その当時の同級生の訃報が届いたからだろうか・・・。

   

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