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2006年11月29日 (水)

会えたらいいね・・(49) ひなたぼっこ

Img_1409_4 こんな時期は 朝 目覚ましに起こされても お布団の温もりに誘惑され もう少し・・・、と思っているうちに二度寝してしまう。

 窓からのぞく久しぶりの青空に そうだ 冬眠前の “めだかのひなたぼっこ” には絶好のお天気! と慌てて飛び起きた。
去年から めだかを飼いたいと思っていた。川で捕ってきてと頼んだら 一匹しか捕れず こちらまで回ってこなかった。ペットショップで買えばいいのだけれど なんとなく抵抗があって そのうち忘れてしまっていた。
そんな話をしたら たくさん飼っている方からいただけることになり 広口瓶に餌と水草までつけて10匹くださった。Img_1437_2
ところが 「元気です」 と報告した矢先 6匹がぷかぷかと浮かんでいるではないか。
びっくりと同時に 何て報告しようかと 頭の中が真っ白になった。
そういえば 頂いた後 2時間も車に入れっぱなしにして その後一時間 車に揺られて帰ってきたのだ。 しかも広口瓶の蓋をきっちり閉めて・・・・。
酸欠と車酔い (魚が酔うかどうか???) に違いない。
6匹 買足そうか・・・・、それでは めだかに申し訳ないし 自分の気持ちも納得できない。
まずは 報告しよう。 
「生き物だから・・、家でも死んだの・・・。 来年また増えたら」 と言われ 胸のつかえが降りた。
Img_1390_1  そんなわけで 今日は 「めだかのひなたぼっこ」
陽に当てないと 水草が日照不足で 腐ってしまうそうだから。 
11月初旬という暖かさに どこからかカマB_shibas_2キリまで お出ましになった。
「ハカラメ」 もしっかり芽をだして 根も張ってきた。
そろそろ 土に置いてあげよう。Aicon365

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2006年11月28日 (火)

会えたらいいね・・(48) 曇り空

S49_1 私が起居する部屋に小さな仏壇が置いてある。
布団を敷くと 足元に近い場所にあるので申し訳ないけれど それでも特等席で 朝日が昇って暫くすると陽が入って 夏の太陽だってよしずと障子で強い陽射しも遮られ 夕陽は拝めなくても うっすらと夕焼けの気配は感じられる。 お隣の広い庭を訪れる小鳥のさえずりも 心地よい。
朝 目が覚めると 父の一杯呑んでご機嫌な顔と 母の旅行先での嬉しそうな顔がこちらを見ている。  
30年来の付き合いのある友人は 「どうして いつまでも両親に拘っているのか」 と非難の言葉を浴びせる。
「それぞれ 関わり方が異うから仕方ないねー」 と答える。
彼女の90歳を超える母上は 故郷の病院に入院されていて 一、二ヶ月に一度 義務のように病院を訪ねる。 行っても彼女を理解できない状態なので 空しい気持ちも解るけれど 交通費として 母上の年金から頂いてくるシステムになっているそうだ。
それも 私には理解できないから お互いさまだと思っている。
200611141436001_1
時々 自分でも情けなくなるほど 母が恋しくなる
昨年 実家を壊した時に運んできた二つの茶箱の中身を整理を始めたら 私のもう一つの生年月日と名前が出てきてしまったので それ以後整理は中断している。

まだ 両親が元気だった頃 箪笥の中から見つけた縮緬のちゃんちゃんこに惹かれるものがあって 内緒で持ち帰って大切にしまってある。いきさつの全てを知っているような気がして 因縁めいたものを感じている。
子供の頃 時々「もらいっ子」と 言われたことはあるけれど 両親は口を閉ざしてお墓まで持って行った。 母子手帳も持っていたし 戸籍にも実子となっている。
父は 口癖のように 「女は 一人で生きていくためには 手に職を付けなければいけない」と 日本舞踊、お琴、読み書き(今なら塾)そろばんに通わせた。 兄弟の居ない娘の将来を案じていたのだろう。
おかげさまで 趣味として楽しんだけれど 生活の糧としては使うこともなく 今は 細々と夫の年金に寄りかかって暮らしている。
父の言葉は 私の生き方にかなり影響をあたえていて 女らしく可愛く生きることを拒否して 今に至っている。Bows_y
わが子育てを振り返ると 政治の世界と同様 何の信念も持たずただひたすら「健康」を願ってきたけれど 「心は・・?」と問われると 不安ばかりが募る。
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こんな 重たい空模様が続くと碌な事を考えない。

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2006年11月27日 (月)

会えたらいいね・・(47) 東洋医学

Img_1432_1 この時期にしては 昨年より暖かいのだそうだけれど 家の中に居ると寒い。
こんな季節は持病を持つ身にとっては 落ち着いていた古傷までが痛む。・・・といってもこれは寒さで起きる痛みで 悪化しているのではないので 精神的には落ち着いていられる。 この病気との付き合いは もう10年近くなるので 同じ痛みでも担当医より薬の調整も上手になって  逆に教えてしまったりする。
大学病院なので 担当医がよく代わる。 共通して言える事は 「薬は毒なのであるから 副作用はあって然るべき、毒には毒をもって制する。」 という考え方で 次々と薬が増えていく。Kareha2_01
何年か前の担当医「T先生」は 「東洋医学的見地で この病気を見ていきたい」 ということで そちらの研究所に代わられた。 しばらくして まだ東洋医学では新米の先生を訪ねた。 それから2年が経過して 体調もかなり良くなり 感謝している。 
漢方は 今21種類の生薬を0.5g単位でその量を増減する。 多分 勉強中の漢方が先生の頭の中を駆け巡っているのだと じーっとブレンドしている間 待っている。その上 安い! 研究費が掛かっていないのと 自分で煎じるという手間があるからだそうだ。
調合された漢方は 持てないほどの量になるので 薬局から宅急便で送ってもらう。それKareha1_01 を毎日50分煎じる。煎じている間も アロマテラピーと思っているが 焦がしてしまったら 家中の窓を開けても臭いは取れない。
時々 実験台になってしまう。「試しに こうやって見てください」 といわれ 一ヵ月後効果がないと 「あー、効かなかったですねー。時々私も 違った知識を言ってしまうんですよー。」 と苦笑いする。  本来なら 憤慨する私なのに許してしまう。
血液検査はしない。舌を出したり 手を握ったり 腫れをみたり 問診だけで済ませる。けれど 信頼関係は出来ている。 Kareha1_02
自然治癒力を待つのだから 行きつ戻りつは仕方が無いと思っている。
大学病院の担当医は バリバリの若手でデーターで判断するので 東洋医学をあまり好ましく思っていないようなので 両先生との間で 付き合い方が難しい。 
早く 化学薬品と縁を切りたいのだが まだまだのようだ。

塀沿いに 一面に咲いているポリゴナムもそろそろ色褪せてきた。
来年はまた 通行人の邪魔にならないように 遠慮がちに咲いてもらおう。 Kino_ha01

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2006年11月23日 (木)

会えたらいいね・・(46) 植え替え

       S53_1                   
また お天気がくずれそうなので 合間を見て庭の模様替えをしておかなければならない。
増えるだけ 増えてしまったポーチラカを可愛そうだけれ庭の片隅に移動させた。
どっちみち一年草なので 放っておいても消えていくのだから捨ててしまってもいいのだけれど 花を咲かせている間は 花に任せる。
アメリカンブルー・は 宿根なので 刈り込んで軒下に入れた。 
まだ咲いているサフィニアや ミリオンベルは もう少しそのままにしておこう。上手くいけば来年も芽を出してくれるから。Bame
母の好きだったホトトギスは 亡くなった後わが家へ移植して 土が合っていたらしく 増えすぎるほど増えて 今年はまだ真っ盛り。
赤や黄のスプレー菊は まだまだ咲き続けている。
口紅水仙が芽をだした。すらーっと伸びた細い葉、 小ぶりな白い花びらの芯に 朱鷺色の紅をうっすらとひいて なんとも品の良い花で 大好きな花のひとつ。
大切に育てても無くなってしまう花、放っておいても元気な花、 置き場所を換えただけで 枯れてしまう花。
子供と同じで 育てるのは難しく 相性があるようで よく解らない。Bhare

一応 植える場所は作った。 あとは何を植えようかと 花屋さん回りをする楽しみをのこして。

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2006年11月21日 (火)

会えたらいいね・・(45) 山茶花梅雨  

                     Img_1422_1                             
このところ 急に冷え込んで 冷たい雨が続いている。 今朝のテレビで こんな雨を 「山茶花梅雨」 というのだと言っていた。 雨にもいろいろあって その季節にあった美しい名前がついていて そんな言葉を織り込んだ手紙を郵便受けに見つけたら うれしいと思うけれど 今はメールで済んでしまうので 「美しい日本」 どころか 「美しい日本語」 も消えてしまいそうだ。 
秋を堪能する間もなく あちこちから初雪の便りが届いて 冬の準備をしなくてはと気が急くけれど 二、三枚必要なものを出して まだ夏物の整理もせずに 震えている。
032_1  自分はともかく 草花は季節を待ってくれないから 悴む手で 球根を植える。
鉢物は それでもてっとり早く植え替えできるけれど いつまでも咲いている地植えのものは 引き抜くこともできず次の準備ができなくなってしまう。 最後の命を振りNewimage8_5絞って 乱れ咲きしている花を見ていると 散る間際が一番美しい気がして 人間も 乱れ咲きは困るけれど 最後までそれなりに美しくありたいと思うのに こればかりはどうにもならない。

とりあえず チューリップを 100球程植えたので 春一番の準備はできた。 もうしばらくしたら またチューリップを植えて 時期を少しずらせて咲くように分ける。

P8_1「芽がでーて ふくらんで はーなが咲いて・・・・」 来年まで元気でいよう 。

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2006年11月20日 (月)

会えたらいいね・・(44) お客さま

    S27_1      
毎月第3日曜日は 那須のお寺で辻説法がある。 始まって もうだいぶ経つけれど 行きたいと思いながらも 日曜日は決まった用事が入っているので どうしてもこちらを優先して 一度も行ったことがない。
今月は お会式が土曜日にあるので 友人とご一緒することになっていた。せっかく行くのだから 前日に出て 一泊して温泉にでも浸かって 会津のローカル線にのり 晩秋を楽しもうと計画していた。 先日上野へ行ったついでに 割引チケットも用意して のーんびりと一人旅を楽しみにしていたのに・・・・。
娘からいつものように 突然の留守番の依頼。 「だめならいいけど・・・、」 と必ず一言おまけがつく。 「ダメで好いのなら 初めから頼むな!!」 と思いながらも それも言えずせっせと 出かけて行く。 「まあ いいかーァ、那須へは日帰りで行ってこよう!」 そう決めた矢先 下の息子たちが来るという。 これも断れず 「どうぞ どうぞ!」 と好い顔をする。 
孫の 2才の誕生祝いを買う約束もあったし 喜ぶ顔もみたいし・・・・。少し早く生まれてしまって小さかったのに 標準以上に大きくなって 元気元気。
遠くに居るから 私が行けないので 休み返上で来てくれる。

留守番の帰りには おまけを一人付けられて これも しぶしぶ手をひいて帰ってきた。
そのおまけのお迎えに また3人が来て 総勢8人で 夕ご飯を食べに行く。Pierrots
032
明日までに もう少し絵を描いておきたいのに・・・。 
疲れきって 明日の準備するのもそこそこに ぐったり~~。

孫は来てよし 帰ってよし。    

母が亡くなって 一年目に 描いた日記。  そのころは みんな 一人もんだったけれど・・・。





  
  

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2006年11月16日 (木)

会えたらいいね・・(43) 上野散歩

S59_1 仏像展を見るため上野に行った。階段を上がると 改札前のチケット売り場には行列ができて 「入場制限中」と張り紙があった。 混雑は予想していたけれど 並んでまで見る気はないので 予定変更で 反対の上野の森美術館の方へ行ってみた。 
「ダリ回顧展」 は人も疎らで 雨上がり歩道に散らばった落ち葉が しっとりと落ち着いて気持ちが良い。 
美術館は雨の日が好いというけれど 今日は朝のうちは暖かかったので 出足がよかっ  たらしく 都美術館もいっぱいだった。 
「日展」が始まっていて ちょうど日本画の特選の作品について審査員らしい方が解説中だったので 遠巻きに聞かせていただいた。
選ばれた理由は 「絵として 良いかどうかは 解らないけれど 一点でもこれは・・・、と思うところがあれば 」 という事を強調していた。やはり人がやっていることを 普通に描いていたのではだめらしい。 確かにどの部分が認められたImg_1376_1のかを説明されると 「へー、そう なのかー」 と妙に感心してしまった。 
日展など私には縁のない世界だから 聞いても仕方ないのだけれど 何の世界も 人と同じではいけないらしい。。 
日本画といっても 花鳥風月の時代とは全く違って 今は洋画と見間違う絵ばかりで ただ使われる画材が異なるだけになっている。 洋画の方も見たけれど 絵の具の違いなのだろうか、油彩は前に出てくるのに 日本画は 一歩ひいているような気がして 落ち着いてほっとする。 かといって油彩が嫌いな訳ではないので それはそれで魅力がある。
Img_1374
だいぶ前に 銀座の画廊で気に入って 「小さな絵」 を衝動買いしたことがあって その絵描きさんは岡山の方で お逢いしたことはないけれど 今回も入選していて なんだか嬉しかった。やっぱり 私の好きな画風は変わらず 椅子に座る女性一人を描いているだけだけれど 微妙な色合いは魅力がある。 
一時止んで陽がさしていた雨も 出てみたらまた降り出して 蒸し暑さが残っていた。
 

 

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2006年11月13日 (月)

会えたらいいね・・(42) 雑木林

Img_1381_9 暖かなImg_1383_3陽射しが カーテン越しに差し込んでくる。 こんな日は家に居る手はない。 いつでも出られるように用意万端、 デイバッグの中に 選定鋏 ビニール袋 軍手 デジカメ  はいつも用意してある。P14
今日は この秋 まだ見かけてないツルウメモドキを探そう・・・、そう思って出かけたのに いきなりびっくりした。
そこが国有地になっているということは聞いてたけれど 入り込むことはできた。               中に入ると日当たりもよく ツルウメモドキが絡まって あったのに ロープが張られて入るP8 ことはできなくなっている。 歩いていくと 他の場所にも看板が立っている。
この辺は 相続のため どんどん物納となり 国有地化して その結果 売られてしまう。  かといって国にも 予算があるから 全て物納というわけにはいかず 業者に安く売ることになる。 調整区域なので家は建てられないので 資材や廃棄物置き場になっていく。                   Img_1273
「おおたかの森」 ということで保護運動をしているけれど 追いつかない。
この林を 「旧軽」 のようだと 毎日散歩するご老人も 「淋しいですImg_1380ねー」 と嘆くけれど どうすることもできない。
地主さんは 歩く人達のために 「足元ご注意」 また春先には 「蜂に注意」 と張り紙をしてくださる。。 
なんとか この雑木林が 良い状態で存続できることを 願わずにはいられない。

歩くことは 絵にする場所探しをかねてなのに スケッチブックを忘れてしまP1ったので いP7そいで取りに帰ろうと思ったら 足元に 「りんどう」 が可愛く咲いていた。
「山帰来」 を見つけたし スケッチはまた今度にしようと 帰ってきた。  


  


 

  

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2006年11月10日 (金)

会えたらいいね・・(41) 楽茶碗

200611101120000 黒楽茶碗 銘俊寛 長次郎作

兼ねてから 行きたいと思いながらも なかなか腰があがらず 11日で終わりと聞いて 慌てて出かけた。やきものが解るという事でもなく 特別好きということでもないのだけれど どういうわけか 楽茶碗だけは 性に合っているらしく 全国のやきもの市で見てから すっかり虜になっている。 「大黒」 という銘の茶碗は どっしりとして其々が450年余の年月をふんで 釉薬が 後退してはいるが 逆に落ち着きがあって こういうのを 侘び寂びというのかなーと 感心した。 
俊寛という銘は 利休が薩摩の門人に頼まれて 茶碗を3つ送ったところ この茶碗以外の二つが返されてきたので 遠地に残されたこの茶碗に 「俊寛」と名づけたといわれている。 

200611101121000 赤楽茶碗 銘鵺(ぬえ) 3代道入作

2代目常慶までは余り変わりなく見えたけれど 白釉や透明釉が掛けられたり 2彩、3彩の緑釉の絵が入ったりして 鮮やかになっている。
「鵺」 というのは源頼政が退治したという怪獣だそうで胴に施された風景はそれに因んでいるという。 筒茶碗などもあって 楽しめた。

それ以降はどんどん変化して 形も彩も奇抜になって 見込み部分に 貝型を貼り付けてあったりで 私はお茶を嗜まないので解らないけれど のみくちが内側に入ったりしていてこれでお茶が美味しくいただける・・・?なんて思うような形もあった。まあ 茶だまりを面白くしているのかもしれない。

今は 15代だそうだけれど いつの時代も 伝統を守ることと まんねりから抜け出る事に 後継者は苦労があるのかもしれない。 道入だって その時代には 奇抜に見えたかもしれない。

空いてると思って行ったのに 茶道のお仲間らしい着物姿の方がいっぱいで なかなか前に進めないし 疲れてしまったので 4代目以降は 遠目に眺めて帰ってきた。

                                (写真は 絵葉書より借用)

  

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2006年11月 9日 (木)

会えたらいいね・・(40)三井本館

200611091616000 三井本館

三井記念美術館へ 「楽茶碗」を見に行ったので ついでに本館に寄ってみた。 お隣の三越へ来ることはあってもこちらへは立ち寄ったことはなかった。
学校を出て 初めて就職した場所は ここ 三井本館だった。東京といっても 郡部に育った私にとっては 日本橋は花のお江戸で がっしりとした外壁とロビーに廻って建つ太い柱や やたらと高い天井 それにもかかわらず 薄暗い室内は 重苦しくていやだった。職場は 中2階といって 一階の天井より低い位置にあり そこから営業部が見渡せた。昼食は 食券が渡され オール三井の広い食堂で取ったり 近くの食券の使えるレストランで済ませた。 お給料がはいると 「紅花」とか 「かつ吉」など当時としては贅沢なお店へ行った。 同じビル内にある 限定された人だけが行けるレストランでご馳走になった 「カニクリームコロッケ」 の味は今でも忘れられなくて ときどき思い出す。Tnztnganis_1

一階のロビーで懐かしく うろうろと見渡していたら 受付嬢に 「何か・・・・?」と訪ねられてしまった。 当時と同じように 中二階があるので お聞きしたら 「証券代行部が使っております」 との返事。 思わず 「40年以上前に 私 あそこで 証券代行部でした!」と言ってしまったら 「大先輩ですね!」といわれて照れくさかった。

現在 都心の歴史的近代建築が姿を消しつつある中 平成10年に 「重要文化財」 に指定された。
大きな柱とだけ思っていたけれど 外壁を飾っているのは 「コリント式の大列柱」で 一階営業室内部は 「ドリス式円柱群」 といって意匠的に優秀と認められているようだ。

今おもうと 学校をでたばかりの新米社員が 建築物の価値も解らず 紺のサージの丈の長い事務服をきて 右往左往していたのだから 建物には申し訳なかった。Cat002

懐かしさに 写真を撮ろうと思ったけれど 道路工事の 大きな車の出入りで 上の方しか撮れず この次来る頃には また様変わりしているのだろう と複雑な思い出で帰ってきた。  

 



       
 

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2006年11月 7日 (火)

会えたらいいね・・(39) 絵本

ぐるんぱのようちえん

Img_1370_4_1   Img_1368_5


私には 大切にしている二冊の絵本があります。
5回の引越しの時も いつも荷物の中に納まっていました。 もう30年以上も いつも手の届くところに置いてあって 3人の子供達が次々と読んで すりきれてよごれて 表紙はとれ テープで貼っても はがれはがれして 今は茶色く跡がのこっているだけですが ときどき ながめています。

ぐるんぱは おおきなぞう。いつもひとりぼっちなので きたなくて くさーいにおいがします。 「さみしいな さみしいな」 といって おおきななみだが はなをつーっとながれていきます。   どこへいっても へまをして どこでもつかってもらえません。 しょんぼりしょんぼりのくりかえし。 でもさいごには ようちえんをひらいて ひとりぼっちのこどもたちがたくさんあつまって もうさみしくなんかありません。

ぐりとぐら

  Img_1371_1
Img_1372


ぐりとぐらは かごをもって もりのおくへでかけていきます。 どんぐりをかごいっぱいひろったら やわらかくゆでてくりーむにしようね・・・・と。 ところが おおきなたまごをみつけます。 かすてらをつくることにしたのですが とにかくおおきすぎて・・・・。 つくっていると もりのどうぶつたちが においをかぎつけてやってきます。

かすてらづくりの ぐりとぐら
けちじゃないよ ぐりとぐら
ごちそうするからまっててね

二冊とも ロングセラーなので どこの本屋さんにいっても 並んでいますが このぼろぼろになった本は 子育てじだいの 充実した毎日の遺産なのです。

いじめがあると ぐるんぱを 思い出します。   
(福音館書店から引用)

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2006年11月 4日 (土)

会えたらいいね・・(38) 色即是空

S28_6 いつだったか 銀座和光で 染織家志村ふくみさん(人間国宝) の 作品を拝見した時に 自然の素材を使って染め上げた色と織りのあまりのやさしさに 心を打たれたことがあります。 会場に ご本人がいらしたのですが 本当にどこにでもいるごく普通の方で この方が・・と思ったくらいです。
日本の伝統色と それに付けられた名前がまた好きで ときどき本をながめては こんなにも日本には美しい言葉があるのだと楽しんでいるのですが 志村さんは 色について著書の中で こんなことを書かれています。

桜の花弁ばかり集めて染めると 灰色がかったうす緑になるそうです。幹で染めた色が桜色で 花弁で染めた色がうす緑いうことは 自然の周期を伝える暗示の色ということのようです。
また 真紅のバラの花弁を集めて煮あげると臙脂色になったので 染めてみると紅みはささなかったということです。
地上に散った花びらが 冷気を帯びて 黄ばんだローズ色になり あでやかな花の色のすぐ傍らに 凋落のきざしがあるようで 色は単なる色ではなく 色の背後にある植物の生命が 色をとおして映し出されているのではないか・・・と。 

 花は紅 柳は緑という植物を代表する色が染まらないということは 色即是空をものがたっているように思われるとも・・。

  ノヴァーリスは詩の中で

 Img_1251_2           すべてみえるものは、 みえないものにさわっている。
 きこえるものは、 きこえないものにさわっている。
 感じられるものは感じられないものにさわっている
 おそらく、 考えられるものは 考えられないものにさわっている だろう。

 
 ほんとうのものは 見えるものの奥にあるのかもしれない。 
 今日は 母の命日。
 この間 13回忌で久しぶりに 般若心経など唱えたら 妙に 「色即是空」 が気になって仕方がない。

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