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2006年8月26日 (土)

会えたらいいね・・・(12)母のこと

S15_1 あれほど落ち込んでいた母も 日が経つに連れ元気をとりもどしていきました。 仏壇に坐っている時間も短くなり 旅行へもよく出かけるようになりました。父は淋しく思っていたのか それとも 自立していく母を安心して見ていたのかは知る由もありませんが・・・。  というのは母は若い時から体が弱かったので 横になっていることが多く 50歳を過ぎた頃 胃の大手術をしてから やっと元気になってきたのです。 それでも すべて父に依存しての生活でしたから 夫というものはこんなにも奥さんを大事にするものなのだと 私は思っていました。  

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2006年8月22日 (火)

会えたらいいね・・・(11)甲子園

S7_2 夏の甲子園も2日間に亘る決勝戦で早実の優勝に決まった。 一途に白球を追っての青春は すばらしいものなのかもしれない。  早実優勝のとたん 祝電・電話がわが家にも飛び込んでくる。・・・というのは夫が半世紀前には 甲子園の土を2度踏んでいて 王さんもその時のメンバーだったそうだ。 「今でもK選手のフアンです」 など電報には書いてある。  いまでも アンダーシャツをよく着ているし 外出は 雨でも野球帽をかぶる。 子育て時代も雨の日以外はすべて野球優先。父の百ヶ日も 草野球に行ってしまった。 早実の優勝でまた 父の葬儀の日を 思い出してしまった。 すなおに夫と優勝を喜べない自分もいやだけれど 甲子園に届かなかった多くの選手達も胸の奥に この夏の思い出を大事にしまって よき人生であってほしいと願っている。 父は喜んでいてくれるだろうか・・・。

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2006年8月21日 (月)

会えたらいいね・・・{10}母のこと

S13 年老いて 住みなれた処を離れ知る人もなくなると 会話も減り惚けるから・・・と、それを理由に一人にさせておいたのですが 一緒にいたら 事故も起きなかったのに、と後悔ばかり。でも 「それでよし」 と自分にいつも言い聞かせてきました。 突然母を訪ねると 仏壇の前に正座して 首を二つ折りにしている姿をよく見かけました。 とても母を大事にしていた父でしたから 母を呼んでしまうのではないかと 心配でした。 

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2006年8月19日 (土)

会えたらいいね・・・(9)母のこと

S8 「日にち薬]  というのでしょうか  老人会を中心とした人達との 旅行会・お誕生会など 市の主催してくださる行事に積極的に参加して 子供に返ったように楽しそうでした。 何を着ていくか(スカートそれともズボン?など)80歳前後の集まりとは思えない可愛い会話が飛び交っていました。 半分 呆れながらも 元気になろうとしている母の姿がいじらしくて また私に心配かけまいとする気持ちを 私と喧嘩することで表していた芯の強い母でした。

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2006年8月17日 (木)

会えたらいいね・・・(8)母のこと

S6 父が亡くなって しばらくの間はS市のわが家に居ましたが やっぱり住み慣れたK市が懐かしくて 帰って行きました。 看病の疲れと 寂しさでしょうか 憔悴しきっていましたが それでも老人仲間とご近所の人達に支えられて 暮らすことになったのですが 一人暮らしをさせておく事への批判に耐える事が その当時大変でした。 でも 母にとっては一番好い方法だったと思っています。

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2006年8月12日 (土)

会えたらいいね・・・・(7)父のこと

S3_1 仕事の帰り 病院へ回ると 父はいつも同じ仕草をします。煙草を吸う  震える手でお猪口をくちにする そして 「車で来たのか」 という事のようでした。車できたのなら帰れると思っていたのでしょう。 指でやっと表す数字は 不思議なことにお墓の地番でした。(自宅の住所は 何度聞いてもわからなかったのに・・・・)。 「お参りしてくるから 大丈夫」 と言うと安心したようで にこっとするのです。 すべて後の祭りで 今思うと・・・ になるのですが 元に戻れないことは判っていたのですから 禁止されていた 好きなお酒も煙草も しょっぱい漬まぐろも 思う存分食べさせてあげたかったと 思うのです。 そして 昭和60年9月 6ヶ月にわたった病院暮らしは 静かに幕を引くことになりました。 

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2006年8月10日 (木)

会えたらいいね・・・(6)父のこと

S2 住まいのあるK市では受け入れてもらえず 結局私の住む埼玉県S市に入院となり 母はわが家から 毎日会いに通いました。その頃の老人病院は 評判通り オムツに替えられ 食事といったら どんぶりの中に 糊状のおかずとお粥 その中に薬までいれ 口から溢れても詰め込む作業でヘルパーさんは3人くらいを 同時担当。それでも預かっていただいているという弱い立場であきらめの毎日でした。 それから半年が過ぎ あれほどしっかりしていた父も惚けが始まりました。  

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2006年8月 7日 (月)

会えたらいいね・・・(5)父の介護

  • S1 それからは 父よりも いつまで母の体がもつかの70才半ばの老老介護でした。布団の横に置いたトイレに 父を乗せることから始まって すべてが 細い体の母には無理なこと。つかれきった母は 病人よりも あの世のお迎えを待つような姿で横たわっている事が あり いよいよ母を説得して 父を入院させることにしました。
  • 介護制度なんて その頃はまだまだでしたから。

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会えたらいいね・・・・(4)父の介護

  Img_1127_2

70キロを超える動けない父を 38キロの母が介護するのですから大変な毎日だったようです。 ようです・・・、なんて娘の私が言うべき言葉ではないのですが 我が家の生活も 大学と高校へ通う3人の子供達の授業料と マイホームローン支払いで必死でした。  母が「私が看る」と言ってくれたのを幸いに あずけたままにしていたのですが・・・・。

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2006年8月 4日 (金)

会えたらいいね・・・・(3)父の介護

Img_1125_2 その後 父は半身不随のまま自宅療養となり 母と二人の生活が始まりました。母は簡易ベットが好きで 父は畳に布団が好き。どちらが介護するのかされるのか解らない 奇妙な形での 暮らしです。 今思えば 無理にでも父をベットにすべきだったと 悔やまれるのですが 3人の子供と仕事に追われる毎日で 二人を思いやるゆとりはありませんでした。

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2006年8月 3日 (木)

会えたらいいね・・・・(2)父の介護

Img_1124 父が 倒れたのは 昭和60年。 ある日 突然食べるものすべて 水さえも受けつかなくなり 3日もその状態が続き 見かねた母は救急車で 病院に運んだそうです。 私が 駆けつけた時は 消化器科のベッドで これから胃と腸の検査をする事になっていると 元気に話していたのですが 一週間もすると ロレツが回らなくなり 手も思うように動かなくなっていました。  脳梗塞による 吐き気だったことが後になって 解ったのですが 後の祭りでした。 今だったら 問題になっていたでしょう。

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2006年8月 2日 (水)

会えたらいいね・・・・・(1)

            

          

       Img_1123_1           また来るね」 と帰っていった母。 その日から 思わぬ事故で40日間意識不明のまま  父の元へ旅立ってしまいました。 一人暮らしが好きだから と言っていた母。 それでも毎日が後悔の連続でした。 心の空白を 切手の貼れない一枚の半紙に 託しました。 今年13回忌を迎えます。 いい年をして・・・・、と母は笑っているでしょう。

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