待っていた母の着物が仕上がってきた
実家を壊す時 何枚か持ち帰った母の着物。
決してお金持ちとは言えない生活の中で 風子には出来る限りのことをしてくれたが 自分の事は後回しで 質素に暮らしていた。
母の実家は 材木屋で羽振りが良かったそうだが 長兄が他人の保証人になったばかりに 財産をすべて無くし 末子の母の結納金まで無くなったそうだ。
身一つで父の元へ来たそうで 父の日記を見ると 「世が世なら 俺のような貧乏人のところへなど来る茂(母の名)ではないのだ。一生かけて 幸せにする。」 と あの寡黙で気難しい父が よくもまあこんな気障な言葉を・・・、とびっくりするが 父が惚れてもらった嫁、 青年時代から文芸誌に 小説など投稿していたようなので 「さもありなん・・・」 と思ったりもする。
そんなわけで プライドだけは強い母ったが、割り切っていたのか 十二社(西新宿)の芸者置屋から お針の仕事を預かっては 遅くまで縫っていた。
亡くなって 箪笥を開けても ウールの着物ばかりで 縮緬や紬は10枚程度だったが 母の気姿を思い出させる気に入った着物を 思い切って直しに出した。
母は 背は風子よりほんの少し低かったが 38キロより肥れない人だったので 並みより幅があるうえ 手の長い風子に作り変えるのは 至難の業。仕立て賃も 割り増しになってしまった。
昔と違って 「やり繰り賃?」 というのが1万円も入るのにはびっくりした。
その着物がやっと届いた。
「叔母から母へ来た紬のアンサンブル(羽織と着物)」 は かれこれ百年近く前の物のような気がする色・柄で 風合いが懐かしい。叔母は小柄の人だったので お端折り無しでも風子には無理、 二枚で一枚の着物にお願いした。
「染みがついたままの母の紬」 は 染み抜きと洗い張りでもやり繰り出来ず 下前おくみに別布を使ってくれた。
「安い着物なら新品を買えるから 作り直しは勿体無い」 と友人はいうが 風子にとっては お金では買えない大切な着物だし 今時 買おうにも買えない品のような気がする。
袖を通すと 真新しい着物と違って 柔らかく軽く 洗い張りしたのに 母の匂いがするようで 叔母と母に包まれて 胸が熱くなった。
今は 単衣の時期なので 秋まで着ることは出来ないが 裄が出ない母の羽織を帯に作り変えているので 涼しくなったら 着て墓参りにでも・・・と待ち遠しい。
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